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東区馬出(まいだし)にある「称名寺」へお墓参りに行きました。
写真右側、どっしりとした大きな石造りの台座があります。かつてはこの上に高さ5.5メートルの「博多大仏」さまが座っておられました。
台座の中は、日本仏教の各宗派を開いた8人の祖師像(八宗祖師像)を安置する造りになっていました。現存する栄西禅師像、伝教大師像は福岡市博物館で保存されているそうです。
当時の博多大仏さまの姿。博多仏師 高田又四郎が原型制作した青銅製の釈迦如来坐像。
称名寺の大仏
博多土居町称名寺に大仏が座った。建立を思い立ったのは明治四〇年頃。寺では銅、鉄の寄進を一般からつのって磯野鉄工所に大仏鋳造を頼んだ。磯野では奈良、長谷についで日本で三番目の大きなものを造ると頑張った…
(国書刊行会「ふるさとの想い出写真集 明治大正昭和 博多」波多江五兵衛 石橋源一郎共編 より 昭和54年発行)
左手に大仏さまの姿があります。明治45年当時、称名寺は博多区土居町にあり、大仏さまは博多の名物だったそうです。
大正7年、称名寺移転に伴い、大仏さまも東区馬出へ移りました。
昭和17年、戦争激化。国への金属供出によって博多大仏は姿を消すことになりました。大仏さまが鉄砲玉になったのか、何になったのかはわからない、とにかく戦争の為、お国の為、あらゆる銅鉄の類が回収された、兄ちゃんたちの学ランの鋳型ボタンまでも供出した、と母は話します。
主を失った台座。
空が とても高い。
戦跡は静かに語りかけてきます。
今年の1番山笠は東流、「千手乃光照丈夫」(せんじゅのひかりはもののふをてらす)
能「田村」の一場面を再現。征夷大将軍 坂上田村麻呂が鬼神征伐に向かっています。
日本の風習の手締め。物事が無事終ったことを祝い掛け声と共に合わせ打つ手拍子。
各地に一本締めや三本締めなどがありますが、博多バージョンは「博多手一本」。
山笠では、重要事項について双方が了承したときなどに頻繁に用いられます。
また、当番町が舁き手を迎えるときに、礼を尽くす意をこめて行なわれます。
イヨー
シャンシャン
まひとつしょ(もうひとつ)
シャンシャン
よーと三度(祝うて三度)
シャンシャンシャン
「博多手一本」は、一般の会合や行事などの締めにも用いられます。
その声、2・2・3の手打ちのリズムは博多ならでは。魅力的です。
勢い水(いきおいみず)
舁き山が走り出すと、盛んに水がかけられます。
各コースに水桶(現在はポリバケツ)が置かれており
加熱した舁き山、舁き手、道路との摩擦、
そして街の熱気までもが冷やされ、清められます。
観光客もいっしょに清められることもしばしば。
(きゃあきゃあ言って逃げるのもたのしい)
清い水(きよいみず) ともいいます。
自動車でいうと、冷却水の役目でもあります。