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2009年に入って読んだ本のいくつかの覚え書きです。
1.『あなたと、どこかへ。』
吉田修一さん、角田光代さん、石田衣良さんら
今をときめく8人の作家が手がけた短編アンソロジー。
「あなたと」の「あなた」は、
恋人、配偶者、家族、または自分といろいろ。
Anywhere but here、沢木耕太郎さんをも髣髴します。
(Somewhere Anywhere は naomiさん~♪)
クルマで出かける場面を用意する、というのが
8人の作家さんのお約束だったそうです。
通り過ぎる、そのような感じで読み終えてしまいました。
『遠い雷、赤い靴』(片岡義男さん)は、
幾度が繰り返して読みました。
主人公の「彼」は四十八歳、職業は写真家。
妻は仕事の関係で三年前からヨーロッパ暮らし。
日本に残った彼は三日前から自動車でひとり旅をしている。
二十六歳のとき、やがて妻となる女性と初めて会った場所への再訪の旅。
「…海に沿って蛇行している県道の前方、
低い山なみの向こうから、暗い雲が幅広く張り出しつつあった。
その雲の暗い色は、同時に雲の分厚さでもあった。
強い雨をともなう雷雲だ。
これは夏の終わりの季語だ、と二十六歳の彼は思った。
大学で写真を勉強してしていた頃、
教授のひとりがふと口にしたひと言を、
そのときの彼は思い出していた。
俳句の季語はひとつ残らず写真に撮ることが出来る、
というひと言だ。」
「俳句の季語はひとつ残らず写真に撮ることが出来る」
この一文が印象に残りました。
2.『こぶしの上のダルマ』
医師であり作家でもある南木佳士さんの八篇の連作小説集。
氏の作品を読むのは『阿弥陀堂だより』に続いて2作目でした。
自身が襲われた極度の心身症から少しずつ回復してきた心境が
八篇のあちらこちらに伺えます。
「世俗の価値の重ね着の重さに耐えかねて発病したらしい前半生を悔いて
余計な着衣を一枚ずつ脱いできたはずの日々の中で知らぬ間に
身にまとわりつき始めた薄い不遜の衣に驚くと同時に、
そうだ、あのルートがまだだった、…」
「こぶしの上に小さなダルマが載ったもんが周りをぐるんぐるん回るんさ。」
3.『乃木希典』
従来の乃木像をくつがえした福田和也氏の傑作とよばれる一冊。
夏目漱石、森鴎外、司馬遼太郎、小林秀雄…と大物作家が
乃木大将について多くを語ってきました。が、
「そんな大物作家の疑義を放置せず、日露戦争百年を機に、
あまり刺激をしない攻め口でさらりと訂正を加えたのが、
本書の福田和也氏の仕事である。」(兵頭二十八 ・ 軍学者)
先日の撮影会場所の植物園でtomo.さんが
「へー、ハナミズキってこれ~。一青窈が唄いようやん、
どんなんかな~っ て思って」
とハナミズキの木を見て言っておられました。
アクロスの裏、天神中央公園にもたくさん咲きます。
正式名称「アメリカヤマボウシ」
昭和26年4月、占領軍司令官を解任されたマッカーサーが
帰国する直前に乃木邸に植樹したものらしいです。
「…一度は敗れ、ようやく苦戦を制したアメリカ軍の元帥には、
乃木希典を敬慕するだけの弁(わきま)えがあった。
消え去りゆくことになった老兵は、
老将に何かを手向けずにはおられなかった。」
という、マッカーサーが植えたハナミズキについての記述も
この本の中にあります。
ジャケ買いならぬ、装丁買いでもありました。
乃木大将のポートレートに「これはなんだ?」と誘われてしまった1冊。
皮のブーツの光沢は、その手触りまでも感じさせられます。
※ちょいと重い感じになっちゃったので、おまけ。
今年は「逆チョコ」?を推奨されている森永さん。
ただいま、レイモン・サヴィニャックの
期間限定パッケージですよ~
9月。日中は夏の名残を感じつつ、朝夕は随分涼しくなりました。
芸術の秋、スポーツの秋、食欲の秋、読書の秋、の到来です。
今読んでいるのは、三國連太郎さんの本を3冊。三國氏は俳優のみならず、小説家でもあります。
このところ「空(くう)」という言葉に出会うことがたまたま重なっており、『三國連太郎 沖浦和光対談』の上巻「浮世の虚と実」の中でも「空(くう)」についての記述がありました。なんていうと、なにやら難しい本のように感じてきますが、なんのなんの、お二人の対談は、実に雄雄しい言葉に満ちております。仏教や哲学の話の他、芸能・芸術について、男と女について、旅について。下巻の「芸能史の深層」では、日本民族・文化の源流が紐解かれ、折口信夫の芸能始原論の引用も興味深く感じられます。
孔子は『論語』の中で、人間の最もすぐれた境地は「仁に依り、芸に遊ぶ」ことだと述べているんだそうです。おほほ。
(ちなみに孔子の言う「芸に遊ぶ」=「遊芸」という言葉は、私たちが思っているより、思想史的にはずっと意味深長で、「芸」もシャーマンが執り行う神事であったそうですが)
さとさんのところでもコメントしたのですが、おススメの本を2冊。
まずは、坂口安吾氏の『堕落論』。おもしろいんだなぁ、坂口氏。氏は幼稚園の頃から型にはめられるのを嫌い、ほとんど通園せず、ひとりで街々をさまよい歩いていたそうです。家では新聞の連載講談を読んでいたという5歳児。。。また、自分の初の子供の誕生の知らせを聞くのは、飲酒酩酊して留置所から出てきたところだったそうです。壇一雄氏曰く「おびただしい精神の贈与を、乱雑に、また惜しげもなくドカドカとバラまき与える人であった。その果ての、あの激烈な孤独の表情を忘れられるものではない。」
「恋愛とはいかなるものか。私はよく知らない。そのいかなるものであるかを、一生の文学に探しつづけているようなものだから。
誰しも恋というものに突きあたる。あるいは突きあたらずに結婚する人もあるかもしれない。やがてしかし良人(おっと)を妻を愛す。あるいは生れた子供を愛す。家庭そのものを愛す。金を愛す。着物を愛す。
私はフザけているのではない。」
「昔、切支丹(キリシタン)が初めて日本に渡来したころ、この愛という語で非常に苦労したという話がある。…日本の武士道では、不義はお家の御法度で、色恋というと、すぐ不義とくる。恋愛はよこしまなものにきめられていて、清純な意味が愛の一字にふくまれておらぬのである。切支丹は愛を説く。神の愛、キリシトの愛、けれども愛は不義につらなるニュアンスが強いのだから、この訳語に困惑したので、苦心のあげくに発明したのが、大切という言葉だ。すなわち、「神(ゼウス)のご大切」「キリシトのご大切」と称し、余は汝を愛す、を余は汝を大切に思う、と訳したのである。」
「…さすれば、バカを怖れたもうな。苦しみ、悲しみ、切なさによって、いささか、みたされる時はあるだろう。それにすら、みたされぬ魂があるというのか。ああ、孤独。それをいいたもうなかれ。孤独は、人のふるさとだ。恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない。」 (「恋愛論」より)
もう1冊。全国の本屋さんの店員さんの間で好評らしい、ということで読みました。本の表紙からすると全くをもって、私っぽくないのですが、瀬尾まいこさんの『卵の緒』。これはうるうるものでした。へその緒でなくて「卵」の緒。読みながら私も卵の緒が欲しいと思いましたよ。もう1篇収められているのが『7’s blood』で、こちらの方が私好みです。読みながら思い出したのは、映画『誰も知らない』。話そのものの背景などは異なるのですが、似たようなにおいがする場面があります。主人公は、七子と七生。異母姉弟。弟・七生は姉・七子のことを「ななちゃん」とよびます。(←ななさんを彷彿)
巻末のあさのあつこさんの解説にもあるのですが、瀬尾さんの作品には食事の場面がたくさんでてきます。食卓を囲むこと、いっしょにごはんを食べることの幸せをしみじみ感じてしまいましたよ。